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「ござ屋」から
「くらし創造カンパニー」へ

1892年(明治25年)岡山県倉敷の地で、
い草産地問屋として
一軒の「ござ屋」から始まった萩原株式会社。
時代とともに人々の暮らしは変化し、
萩原もまた、その変化に向き合い続けてきました。
一つひとつの挑戦を積み重ねながら、
私たちは「くらしそのものを創造する会社」へと
歩みを進めています。

岡山とい草のルーツ

萩原の原点には、
岡山・倉敷に根づく「い草文化」があります。
岡山県は古くからい草の産地として知られ、
干拓によって生まれた土地と、塩分に強いい草の
特性が結びつき、
昭和の高度成長期まで
日本有数のい草産地として発展してきました。
萩原は、この土地で育まれてきたい草とともに、
ものづくりの歴史を歩んできました。

  1. 1892

    創業 (い草からのスタート!)

    世界を見据えた
    「ござ屋」として

    明治に入り輸出が盛んになるとともに、い草製品も欧米向けに輸出されていきました。その中で、先見の明に優れていた初代・萩原賦一は1892年(明治25年)に自身の「ふいち」という名前から「まるふ」という屋号を掲げ、「萩原賦一商店」を創業し、アメリカ輸出向けの花ござ製造販売を開始しました。
    当時、い草製品は欧米でも高く評価され、1902年には花ござが日本からアメリカへの輸出品目の上位に入るまでに成長。しかしながら、1914年に始まった第一次世界大戦により輸出ができなくなったことを機に、国内向け販売に転換しました。

    1892年の萩原 1892年の萩原
  2. 1948

    継承と挑戦 (ござ屋、素材に挑む!)

    素材から考える
    ものづくり

    1948年、初代の逝去に伴い襲名した二代目・萩原賦一が事業を継承し、「有限会社萩原商店」を設立。この頃より、全国で販売活動を行うとともに、改めて海外輸出も推進するようになりました。
    1961年には他社との差別化・コストの優位性を目的として花ござ用経糸をポリエチレンで作るための水島工場を建設・創業。のちの萩原工業株式会社の礎を築き、今日まで続く萩原の「素材から考える」というものづくりの姿勢を確立していくことになります。
    その後、二代目萩原賦一は事業拡大をさらに推し進め、い草製品工場や販売会社、樹脂成型製造会社など多数の会社・事業を設立、投資していきました。

    1948年の萩原 1948年の萩原
  3. 1970

    危機を越えて (い草、海を渡る!)

    海外生産への決断

    1977年(昭和52年)、二代目の逝去に伴い、三代目・萩原賦一が社長に就任。高度成長期という時代の中、岡山県でも水島工業地帯の発展に伴い公害が発生し、雇用が水島へ流れたことで倉敷のい草産業は衰退し始めました。

    このままでは、会社の核であるい草事業の継続が困難になる。強い危機感を抱いた三代目はいち早く海外での生産に目を向け、台湾・韓国に続き、1972年には中国へ進出。事業継続のための経営効率を進める一方で中国に積極投資を行い、1979年中国蘇州にて「江蘇藺芸草制品有限公司」を設立、中国製い草製品の製造の礎を築き上げました。

    1970年の萩原 1970年の萩原
  4. 1970-1980

    平面から空間へ (籐家具の価値をいち早く見出す!)

    家具事業への広がり

    1970年代後半、三代目萩原賦一は中国でのい草事業を行う一方で、新たな挑戦として家具の取り扱いも開始しました。今まで敷物だけの平面だったものから、空間へと大きな転換となりました。

    当時は台湾でもい草工場を設立していましたが、近隣には多数の籐家具工場が存在していることに気づき可能性を感じ取った三代目は、籐家具を日本に輸入。当時は販売網も無かったため、地域の布団販売店や当時新業態であったホームセンターへ持ち込み、取り扱いを増やしていきました。

    また、ヨーロッパ諸国や中近東への輸出が拡大している中で、販売と同時に輸入業として唐木家具・ヨーロッパ家具の取り扱いも開始しました。

    1983年には、当時としては珍しい本社展示場を設立。取引先に出向くのではなく来てもらう、また来てもらえるだけの魅力を作るよう、まるふの精神を強めていきました。

    1985年、プラザ合意による急激な円高により輸出事業は大きな転機を迎えます。三代目はこのピンチをチャンスに変えようと、当時輸出によって得ていた外貨を円に両替するのではなく、そのまま商品の仕入れに使用して輸入をさらに拡大させようと考えたのです。その後、バブル景気も重なり家具事業は大きく成長していきました。

    1970-1980年の萩原 1970-1980年の萩原
  5. 2010

    基盤を築く (三つの力、ひとつに!くらし創造カンパニー!)

    新生・萩原株式会社へ

    分社化した「萩原株式会社」「ハギハラスリーアイ株式会社」「萩原貿易株式会社」の3社は、それぞれ独立独歩に事業を行っていましたが、今後のさらなる発展と相乗効果を目指し、2010年に3社を合併。新生「萩原株式会社」が誕生しました。
    い草、敷物、家具、輸出入――、それぞれの事業で培ってきた強みを束ね、「くらしを創造する会社」としての基盤を固めていきました。

    2010年の萩原 2010年の萩原
  6. 2018-2020

    改革と強化 (組織改革を進める!)

    四代目が社長に就任

    2018年11月、三代目の引退に伴い、四代目・萩原秀泰が代表取締役社長に就任しました。
    三代目の引退表明から社長就任までの2年間、四代目は「会社とは」について考え、その中でとある講演を拝聴したことで「“い草の可能性”を信じることが大切だ」と決心。
    さらに、「良い会社とは、“従業員が自分の子供に入社を勧めたい会社”ではないか」という思いを抱き、目指していくことを決意し、組織改革を進めました。
    2020年に入り、お客様の価値観・ライフスタイルの多様化に伴い、インテリア業界を取り巻く環境にも大きな変化が訪れることが予想されました。2020年9月には、日本ベターリビング株式会社のインテリア事業を承継し、価値提供や成長市場への取組み強化につなげました。

    2018-2020年の萩原 2018-2020年の萩原
  7. 2022-2024

    新たな挑戦 (節目を迎える!)

    創業130周年

    2022年5月、創業130周年を迎えた萩原。節目を迎えるにあたり、従業員の心に残ることをしたいとの思いから、従業員主体で構成された「130周年記念プロジェクトチーム」を発足。
    130周年を記念して「花火大会」や「運動会」、「記念品作成・配布」などを企画し、実現しました。花火大会では、地域で一企業が花火を打ち上げる前例がない中でしたが、地域の方々からのご協力やご支援をいただくことで開催できました。開催を通して、萩原が「人とのつながり」を大切にしてきた企業であることを改めて実感する機会になりました。

    2022-2024年の萩原 2022-2024年の萩原
  8. 2022年7月
    企業主導型保育園
    「あさのは保育園」開園

    2020年、コロナ禍により一斉休校が始まり、外出規制による出張制限も出るなど、今までのような働き方ができなくなる危機に直面します。しかしそんな危機に直面しながらも、三代目萩原賦一が過去に輸出事業の大きな転機を乗り越えたときのように、「ピンチをチャンスに変える」べく動き出します。

    そして、産休育休社員の保育園入園待ちによる復職遅れや、休校によって子供を預けられず出社に制限が発生していることを受け、「企業主導型保育園」の設立を決意。

    社員主導のプロジェクトを立ち上げ、2022年7月、本社隣接地に「あさのは保育園」を開園。保育園運営を通して、社員の多様な働き方への支援や育児の負担軽減、地域における待機児童の解消につながっています。

    年の萩原
  9. 2022年9月
    片島物流センター 完成

    社員が主導権を持つ社風と働きやすさを追求することにより、旧片島倉庫老朽化に伴う「片島物流センター」の建て替え時には、物流本部の社員主体で倉庫の構造や内装を決定するなど、社員の主体性を伸ばす伴走型の組織改革を積極的に推進しています。

    年の萩原 年の萩原
  10. 2024年11月
    有限会社リブ・モリナガの全株式取得

    国産上敷の継続に欠かせない企業「有限会社リブ・モリナガ」を取得し、子会社化。加工技術を活かした商品開発や顧客ニーズへの対応を強化しました。

    年の萩原 年の萩原
  11. 2024-2025

    栽培から製品化まで (い草産業に再び輝きを!)

    い草栽培を開始

    2024年12月、萩原は新たな挑戦を始めます。い草の国内栽培のほとんどが熊本県八代市という現状の中、静岡県焼津市で唯一のい草農家が撤退の危機に直面するという出来事がありました。そこで萩原は、い草や畳の需要拡大へのアプローチとしての活用の可能性を感じ、また農業に従事していた従業員の「い草農業を続けたい」という熱意にも応えるべく、「い草の栽培事業」開始を決意。

    プロジェクト「YAiGUSA BASE(ヤイグサベース)」を始動し、い草の栽培から商品開発まで自分たちの手で取り組んでいます。そして2025年には初めて収穫したい草で「純国産のい草寝ござ」を完成させるなど、い草産業が再び輝くことのできる未来を目指し挑戦し続けています。

    2024-2025年の萩原 2024-2025年の萩原
  12. 2025年2月
    インド支店を設立

    2025年には重要な取引国となるインドに支店を設立し、アメリカ拠点を法人化するなど、い草・畳文化の魅力を世界に発信し続けるため、さらなる海外展開にも本格的に踏み出しました。

    年の萩原
  13. 2026

    未来へ (挑戦は続く!)

    現在、そしてこれから

    創業134年を迎えた、2026年。萩原は、い草の価値を信じ次の時代につなげて広げるための取り組みに加え、い草を使った製品をはじめとするインテリア商品全般のBtoB事業・BtoC事業の成長や、会社全体を通じた各部署・業務の効率化などの努力を積み上げてきたことにより、売上高を四代目社長就任時から大幅に伸長させ、過去最高売上を更新し続けています。
    私たちは、“い草”と“ものづくり”の原点を大切にしながら、これからも人々の豊かな暮らしに貢献できるよう創造し続けていきます。

    2026年の萩原 2026年の萩原 2026年の萩原

写真出展:倉敷市歴史資料整備室所蔵、倉敷市歴史資料整備室所蔵安藤弘志氏寄贈写真