From “Goza-ya”
to “Life Creation Company”

In 1892, the first generation, Fuichi Hagihara, founded Hagihara Fuichi Shoten. Fuichi Hagihara took the name “Maruf” from his own name “Fuichi” and founded the company to manufacture and sell mats for export to the United States.

岡山県とい草

岡山県とい草の歴史は深く、西暦190年代第14代仲哀天皇が仮泊のために現在の岡山県倉敷市に立ち寄られました。その際に渓間の野草をつかって「御座」を奉ったところ、その美しさにこの野草でむしろを織るようにと勅諚があり、それがい草のむしろと言われています。

また、このことから茣蓙(ござ)の語源も御座から来ているといわれています。その後、室町時代より書院造に畳が使用されたことにより普及していきました。また、安土桃山時代より岡山県倉敷市は干拓により陸地が増えていきましたが、塩分が多く米作りには適さなかったため、塩分に強いい草や綿花が植えられました。こうして昭和の高度成長期まで倉敷が、い草の一大産地となっていきました。

 

1892年(明治25年)8月、「萩原賦一商店」創業。

明治に入り輸出が盛んとなり、い草製品も欧米向けに輸出されていきました。その中で、先見の明に優れていた初代萩原賦一は1892年に自身の「ふいち」という名前から「まるふ」という屋号を掲げて、アメリカ輸出向けの花ござ製造販売として創業しました。その後、1902年には日本からアメリカに向けての輸出全品目のうち倉敷が特産であった花ござが3位になりました。

しかしながら、1914年より始まった第一次世界大戦により輸出ができなくなり、国内向け販売に転換しました。

「有限会社萩原商店」の設立

1948年初代萩原賦一の死去に伴い2代目萩原賦一を襲名し、有限会社萩原商店を設立しました。

 

新規事業へのチャレンジ

この頃より、全国で販売活動を行うとともに改めて海外輸出も推し進めました。また、1962年に他社との差別化、コストの優位性を目的として花ござ用経糸をポリエチレンで作るため水島工場を建設創業し、後の萩原工業株式会社の礎を築きました。

その後、2代目萩原賦一は事業拡大を推し進め、い草製品工場、販売会社、樹脂成型製造会社など多数の会社、事業を設立投資していきました。

 

三代目 萩原賦一

1977年(昭和52年)、二代目萩原賦一の逝去に伴い、三代目萩原賦一が社長に就任。しかしながら、高度成長期により岡山県でも水島工業地帯が発展したことにより公害が発生。雇用も水島へ流れたことで倉敷のい草産業は衰退がはじまり、このままではコアであるい草事業の継続が困難になると思い海外での生産に目を向け台湾・韓国に続き1972年に中国へ進出していきました。事業継続の為の経営効率を行う一方で中国に積極投資を行い、1979年中国蘇州にて江蘇藺芸草制品有限公司を設立、中国製い草製品の製造の礎を築き上げました。

1983年に当時としては珍しい本社展示場を設立。

取引先に出向くのではなく来てもらう、また来てもらえるだけの魅力を作るよう、まるふの精神を強めていきました。

事業の多角化

時期を同じくして、1970年代後半、中国でのい草事業を挑戦する一方で家具の取り扱いを開始しました。それはいままで敷物だけの平面だったものから、空間へと大きな転換となりました。

当時は台湾でもい草工場を設立しておりましたが、近隣には多数の籐家具工場が存在しており、可能性を感じた三代目は日本へ籐家具を輸入。当時は販売網も無かったため、地域の布団販売店や当時新業態であったホームセンターへと持ち込み取り扱いを増やしていきました。

また、ヨーロッパ諸国、中近東への輸出も拡大している中で販売と同時に輸入業として唐木家具、ヨーロッパ家具の取り扱いを開始しました。

1985年、プラザ合意による急激な円高が起こり、輸出事業は大きな転機を必要とされました。三代目はこのピンチをチャンスに変えようと、当時輸出によって得ていた外貨を円に両替するのではなく、そのまま商品の仕入れに使用して輸入をさらに拡大させようと考えたのでした。

その後、バブル景気も重なり家具事業は大きく成長していきました。

分社化

こうして従来からのい草事業、新しく始めた籐事業、輸出およびヨーロッパからの輸入事業を1991年に分社化。萩原株式会社、ハギハラスリーアイ株式会社、萩原貿易株式会社が誕生しました。

また同年には1972年から始めた中国事業の一環として業界初となるい草製品の検品を目的とした検品配送センターを中国上海に設立。中国でのい草事業におけるポジショニングを確立しました。その後、検品配送センターは1995年に江蘇省蘇州に移り、2003年に法人化。

現地企業との合弁で蘇州萩原弘業藺草有限公司が誕生しました。

 

い草事業において、中国のパイオニアとして現地工業に肥培管理から最終検品までを一から指導し続ける一方、そこで得た工場運営のノウハウを他事業に活かしていき取扱商品はどんどん増えていきました。

 

さらなるステージへ

分社しそれぞれ独立独歩に事業を行っていきましたが、今後のさらなる発展と相乗効果を計画として2010年に萩原株式会社・ハギハラスリーアイ株式会社・萩原貿易株式会社の3社を合併させ、新生萩原株式会社が誕生しました。

四代目 萩原秀泰

2018年11月に四代目として萩原秀泰が代表取締役社長に就任。

 

2018年、取扱商品が多角化していた中で、販売網も多角化する必要があると感じ、小売り事業に着手。はぎもの舎一号店を立ち上げました。

オムニチャネル化した市場に対応すべく、部署をまたがり、製造から販売までのSPAを強化。原料からの製造メーカー機能、商品企画機能、輸送管理機能、工場運営管理機能、品質管理機能、物流機能、卸売り機能、小売り機能、SNSなどの販促機能を兼ね備え、それらを萩原にしかできない強みへと変えていき、歴代のまるふがつないできた思いを後世へとつないでいきます。

倉敷の地場産業であるござ屋として創業した萩原株式会社。

時代は移り変わり、人々の生活も多様化。

私たちが追い求めるのは豊かな暮らしに貢献すること。

萩原株式会社は皆様の暮らしを想像し、快適な空間の創造に繋げていきます。